タピオカに3時間並ぶ人の自分語りブログ

タピオカに3時間並ぶようなJD(女子大生)の生態例

ぬるくなったアボカド

 アボカドが苦手だ。

 

 前までは大好きだったのだけれども、ある時から苦手になった。味は今でも好きだ。食感も。ただ、アボカドという存在そのものが、私に胃の奥底が重くなるような感覚を与えてくるのだ。出来れば思い出したくない出来事、たぶん「トラウマ」って言葉が一番しっくりくるような苦い思い出。

 アボカドは、私の大学受験の象徴だ。

 

 簡潔に結果だけ言うと、現役の大学受験は全落ちだった。一浪して妥協に妥協を重ねてそれでもなお全落ちリーチかかって、なんとかギリギリ現在の大学に入学した。何度すり替えたかわからない「第1希望」。国公立前期で合格した現在の大学は、それでもまぁ好きな大学だ。コロナのせいで思うようにいかないとはいえ、部活にバイトに授業に充実した大学生活を送れている。

 私の大学受験は失敗だったと思う。けれど今はもう未練はない。

 

 ただ1つ、今でもたまに夢に見るほど、悔しくて辛かった受験がある。現役国公立大学後期受験、「デッサン」の実技試験のあった受験だ。

 

 大学名とか詳しい配点とか仕組みとか、今はもうできる限り思い出したくないので省略するが、とにかくその受験は「デッサン」の試験があった。正確にはなんか違った科目名だったけど、調べたくない。私はその受験で、モチーフを紙に鉛筆で描写することを求められていた。

 数人が円になるように配置されたイーゼル、円の中心に置かれていたのは木製のブロックたちだった。たぶん10個くらい乱雑に積まれていた。受験者たちが配置に着くと、試験問題の書かれた紙と、アボカドがそれぞれ配られた。

 

「アボカドと木製ブロックを組み合わせて描写しなさい」

 

 多分そんな感じの問題文。制限時間は確か3時間とかそんなんだったと思う。手渡されたアボカドは、冬の冷気に晒されてひんやりとしていた。緊張と興奮で汗ばむ手のひらに、硬く凸凹とした表面が心地よかった。

 

 私は絵を描くのが好きだ。

 

 人よりも上手くかけるという自負もあった。

 

 今まで1人で練習してきたとおりに、全力で描けば良いのだと意気込んだ。

 

 親の反対もあって美大受験や画塾通いはできなかったけれども、どうしてもデザイン系の分野に進みたかった。好きなものを追い求めて、人生全部を使って極めてみたかった。どんなに厳しい道でも良かった。努力が1番報われない分野なのもわかってた。それでも、頑張ってみたかった。

 

 確か描き始めて半分くらいして、違和感に気づいた。芸術系の実技試験はカンニングなどできない性質上、他の受験生の"答案用紙"が丸見えな座席配置になってることが多い。自分の「積まれた木材の上にアボカドが1つ乗ったデッサン」の狂いを確認するため、伸びをして全体像を眺めた時、視界の端に写った他の人の絵と私の絵が、全く別のものであることに気づいた。

 

 「異空間を飛ぶアボカドとブロック」

 「輪になって並ぶアボカドとブロック」

 「複数のアボカドとブロック」

 

 その絵たちはどう見ても、「デッサン」ではなく「デザイン」だった。

 慌てて問題文を確認すると、確かに「描写しろ」とはあっても「デッサンしろ」との記述はなかった。私の絵は、「デッサン」だ。私のように「デッサン」をしている受験者もいたが、人数は多くはなく、技量は「デザイン」をしている人たちより明らかに劣っていた。

 体温が下がっていくのを感じた。冷や汗が滲み、左手に握ったアボカドをじんわりと濡らした。アボカドはもう、私の体温と同じくらいぬるくなっていた。

 私は間違えた。問題文を読み間違えた。いや、それだけじゃない。受験する試験すら間違えたのだ。「デザイン」ができている人達は、おそらく美大落ち勢だ。この受験は画塾に通い、受験絵画の訓練を積んできて、それでも美大に受からなかった人たちをターゲットとした入試だったのだ。1から描き直す時間はもうなかった。緊張も興奮もなかった。絶望と焦りの中で、必死に打開策を探した。意識して深呼吸をしながら、ぬるくなったアボカドを見つめた。木製ブロックはどうしようもない。いじれるとしたらアボカドの配置だけだった。どう考えてもどうしようもなかった。とってつけたように、アボカドをとにかく紙面全体に降らすことにした。

 

 はっきりいって酷い出来だったと思う。デッサンを時間をかけて練習してきた人には、私のデッサン力は遠く及ばない。ましてや構図すらまともにできていないのだ。試験終了の合図とともに、私は不合格を確信した。回収されるアボカドは、手汗でじめじめしていたと思う。

 あのアボカド、誰かが食べるのかな。

 試験官の人が食べるならちょっと可哀想だな。

 少しでも気が緩むと泣いてしまいそうだった。

 「努力が報われない」とかじゃなかった。

 

 私は、スタートラインにすら立てていなかった。

 

 会場から駅まで何も喋らなかった。入試に付いてきた母が慰めようとしたのか何か色々話しかけてきたけど、何もしゃべらないで欲しかった。心の中がありえない「もしも」で溢れて、悔しさとつらさと、やり場のない怒りでいっぱいいっぱいだった。もしも画塾に通えていたら、もしも美大受験を目指していたら、もしも母や父が反対していなければ、もしも、もしも、もしも。

 ぬるいアボカドの感覚がいつまでも左手に残っているようだった。

 あんなにアボカド大好きだったのに、これからは姿を見る度にこのことを思い出すのだ。私はこれから1年間、受験生を続けなければならないのだ。苦い思いが込み上げてきた。つらかった。全てを投げ出してしまいたくなった。

 

 この出来事が尾を引き、その後の1年間メンタルガッタガタだった。結局秋くらいで心が折れて、センター試験も大敗して、妥協に妥協を重ねてデザイン分野すら諦めて現在に至っている。デザインのデの字もない学部、「デザインなんて必要ないです」と豪語する教授のいる学科で、ゆるゆる大学生活を送っている。

 

 今も絵は好きだ。でも絵を描こうとするとたまにあの日がフラッシュバックしてペンを持てなくなる。今も絵やデザインを仕事に出来たら楽しいだろうなとは思う。でもあの時スタートラインに立てなかった私が、今後あそこから駆け抜けてる人達相手に同じ土俵で戦うことを考えると気が遠くなる。

 アボカドを視界の外に追いやりながら、今日も大学生活を楽しんでいる。