タピオカに3時間並ぶ人の自分語りブログ

タピオカに3時間並ぶようなJD(女子大生)の生態例

久々のブログだよ。絵について。

 本当に久々だね。1年ちょっとぶり。

 正直このブログアカウント消そうかとも思ったんですけど消しそびれた。消しそびれたのでどうせならもうちょっと続けてみようと思う。書けてないネタもあるしね。いやどうだろう分からないこれが最後になるかもしれない。

 

この一年ちょっと、受験期後半になってメンタルブレイクして志望校下げたり、センター大失敗して志望校下げたり、本番どこにも受からなくて第n志望に入学が決定したりしてた。すごい!現役の散々な戦績から学習してないぞ!!まぁあの絶望的な成績から現在就職率がバカみたいに良い地方理系国立大学の学生になれたので及第点。もう志望校変えすぎて第何志望だったのかすらもう自分でも把握してない……一応前期で受験したのにね……。分野もかすりもしないとこにいる。デザインのデの字もない。dの字すらない。なんてこった。ついでにずっとしたかった一人暮らしも出来なくなった。祖父母との同居だよ。8年まともに会ってなかったからそりゃあもう大変だよ。毎日異文化交流している。

 

 受験生を経て現在に至るまで、まともに絵を描くことができてなかった。試験対策の簡単なデッサンとかノートの端の落書きとかはちょこちょこ描いてたけど、ちゃんとしたのは全然描いてなかった。ずっと「勉強しなきゃ」って後ろめたい気持ちがあって、「絵を描く暇なんてない」って制限してきた。中学の頃に絵を描き始めてからこんなに長い期間絵を描かないってのがはじめてで、最初はすぐに耐えられなくなると思っていた。必要に駆られて絵を描き始めて、「絵を描けないなら生きてる意味なんてない」って思っていた人間なので、絵を描かずに生きていく人生なんて想像できなかった。ところがまぁなんだかんだ生き延びてしまったので驚きだった。

 

 私が絵を描き始めた理由は言ったことあっただろうか。なかった気がする。ダメだ今まで書いてきたブログの内容を思い出せない。今はてなに直書きしてるから確認するのもめんどい。いいや書くね。2度目になってたらごめんね。

 

 私が絵を描き始めたのは、現実から逃げるためだった。中学の頃の私はそれはもう鬱々とした日々を過ごしていた。3年間自殺せず生き延びたのが奇跡のように思う。家も学校も安全地帯では無く、現実を直視し続けることなんて到底できなかった。誰にも助けを求められなかったし、どこにも逃げ場なんてなかった。じゃあ現実じゃない所に逃げよう!ってことで選んだのが絵だったのだ。正直、現実じゃないどこかに行けるならなんだって良かった。小説でもアニメでもネットでも。字を書くのでも良かった。ただ図書館のめぼしい本はたいてい読み終わってしまっていたし、アニメやネットは家でしか見れないからダメだった。1度小説を書こうとしたこともあったが、必死に書いても二、三千字にしかならなくてやめた。消去法の結果選んだのが絵だった。当時「1番活動時間が短い」って理由で美術部部員やってたのも都合が良かった。絵を描いてる間は死にたくなるような現実のことを忘れられる。ここでは無いどこかの世界を描くことだけに集中出来る。私が死なずに済んだのは絵だけじゃない色々なものに助けられたからだけど、私が生きようと思えたのは絵を描くことができたからだった。

 

 という訳で、絵を描かずに生き続けるなんてことは想定外の事態だった。絵を描くために生きてたのに将来のために絵を描けないなんて本末転倒もいい所だった。一応受験生の間はって期間を決めてたとはいえ、1年だったはずが2年に延び、デザイン系志望のはずがデザイン関係ない方向にズレてしまっていったのだ。どこかで限界が来ると思った。ところがどっこいなんとかなった。ちょっと、いやかなりしんどかったけど死ななかった。それでようやく、「もしかしたら私は絵がなくても生きていけるのかもしれない」と思い至った。驚いた。衝撃だ。で、絵が描けなくなった。

 

 絵が描けなくなった理由はこれだけじゃない。前述した受験期後期メンタルブレイクの内容とか色々、それはもう本当に色々な理由が絡まってこんがらがって自分でもわからないくらい複雑怪奇なことになってる。よってその全貌が掴めない以上詳しくは言えないけど、原因の一端が「自分は絵がかけなくても生きていける」と気付いてしまったのことだったのは確かだ。受験生じゃなくなって、春休みを経て大学生になって、遠隔授業のあれこれでかなりの時間があったにも関わらず、絵が描けなくなった。しょうがないので日がな一日Twitterとイチャイチャして過ごした。もう虚無しかない。受験期も大概虚無だったが受験終わって今に至るまでも虚無だった。そんな虚無の半年弱を過ごして、ようやく、「私は絵がなくても生きていけるが、絵がないと人生がつまらない。」ということに気付けた。

 

 ペンとか鉛筆とか色鉛筆を散らかして、画用紙の前に数時間座り続けて、描きたいものを描けるように試行錯誤を重ねる。参考資料の山を作って、鏡で自分の体を観察して、時には紙をぐるぐる回して眺める。描いても描いても本当に描きたいものにはたどり着けない。悔しくてしんどい思いをしながら線をひいて色を重ねる。それで時々上手くかけたら嬉しくてしょうがなくなる。

私はそういう作業が好きだと自覚した。

私は、絵を描くことが好きだ。

 

今私は久しぶりに絵を描いている。「人間の骨格わからん」「色の塗り方わからん」「どうやって描くんだ……どうやって描いてたんだ自分……」って唸りながら描いている。楽しくてたまらない。「絵がかけなくなった」つったって落書きくらいは描いてた。でもそんな自由帳に描く落書きとかじゃなく、途中で投げ出さず、一日ずっと描き続けるのが楽しい。妥協せずちゃんと自分の描ける最大限でもって必死に描くのは本当に久しぶりだ。楽しい。本当に楽しい。

 

 叶うことなら一生絵だけを描いて生きてみたかったと思う。それが叶わなかった今の進路は、正直今でも深く考え出すとしんどくなる。割り切れないまま割り切ったつもりになって進むしかないと思う。何度挫折して立ち止まろうが、選びたかった道を選べなかろうが、人生は終わってはくれないのだ。それならきっと楽しい方がいい。死にたくならなかっとことを怖がるなんてしなくていい。「絵がなくても生きていける」ってのはきっとそれだけ現実が楽しくなったってことだから、楽しい現実と楽しい絵と生きていこうと思う。多分これからも何回も転けて迷って右往左往するだろうけど、相変わらず遅筆だろうけど、マイペースに絵を描いていこう。