タピオカに3時間並ぶ人の自分語りブログ

タピオカに3時間並ぶようなJR(女子浪人生)の生態

恥の多い人生をおくっています。


 3本書き溜めたと言ったな?あれは嘘だ。

 

 1本目を投稿した時点で完全に書き上がっていたのは2本目まで。あとの2本は題名とプロット(という名の言いたいこと箇条書き)だけの状態だった。というかそういうのが十数本あったので「あと文章にするだけだし実質2本に数えられね?」と見切り発車した。早く誰かに読んで欲しかったしあわよくば「すごい」って言われたかった。大丈夫すぐ書けるそれより桜のやつを桜の季節のうちにあげたい、と自分に言い訳をしていた。馬鹿でしかない。阿呆なので文章にすることが1番大変なのだとわかってなかった。わかったつもりになっていた。

 

 言いたいことはいっぱいあるのに手が足りない。やりたいことはいっぱいあるのに体が足りない。朝遅刻ギリギリに家を飛び出して、必死に授業と予習復習をこなして、帰る頃にはもう夜で、ちょーとゆっくりご飯食べたりしたらいつの間にか深夜で、翌朝当たり前に寝坊する。自分のキャパシティを把握した気になってるから、キャパオーバーにあれもこれもと手を出してしまう。当然全て中途半端なままに時間だけすぎる。限られた時間を最大限有効活用できる化け物は世の中にごまんと居るのだ。彼らが日進月歩する中、私は毎日足踏みしてる。気づいたら周回遅れになっている。先週の私とも、先月の私とも、1年前からも何一つ変わらずに、何一つ成長せずに生きている。何もかもが足りなくて、無いものをあるように取り繕うことだけ上手くなって、毎日毎日ヘラヘラしてる。精神的に向上心のない者はばかだ。 そこら辺を歩いてる蟻の方が私よりずっとばかではない。

 

 

 

 焦りは当然ある。ただただ焦りだけが募って身動きができなくなる夜もある。そういう時になるとどんな文章を書いても駄文を極める。具体例としては上記の文が最適だろう。実はこんな調子の文章が、更にネガティブに加速しながら千字ほど続いていた。あまりにネガティブすぎて収集がつかなくなったし、何より第三者に見せるのははばかられる内容だったのでバッサリ割愛した。今から二、三日前の話だ。

 

 魂なぞ実体を持たないので、私というそんざいはどう頑張っても肉体に縛られる。肉体はこの世界に縛られる。ならば低気圧やら諸々の影響により、健康状態や精神状態に波があるのはしかたのないことだ。だがこの波が、たまにものすごく邪魔くさく思えてしまう。ネガティブで鬱々してるのは何かと疲れるし、日常生活のあらゆる場面で支障をきたす。しかも最中は自覚がない。数日ほど「あぁやっぱり私はどうしようもないなんの価値もないダメ人間のクズだったのだ」とぐるぐる鬱々して、波が過ぎ去るとようやく「病み期やんけ」と自覚が持てる。面倒だ。色々としんどい。もういっそ脳みそのデータをスキャンしてネット上で生きられたらどれだけ良いだろうかと思う。

 


 正常な思考をもってしても、私は特段優れた人間であるとは言い難い。井の中の蛙どころかミジンコあたりが妥当であるとは思ってる。どこにでもいる凡人。狭い世界の中でカエルに怯えて、大海のサメやらシャチやらの存在すら知らず、波に流されている。未来に光なんて全然見えないし、常に精神的向上心を持つことなんてできないばかでもあると思う。

 でもまぁそんなこと、今にはじまった話ではない。十数年ずっと神童にも天才にも秀才にもなってこなかった。目の前にはずっと高い越えられない壁があった。ずっと誰かに迷惑をかけながら生きてきた。そんなでも振り返れば、多少は身につけてきた知識もあったし、誰かが認めてくれたり褒めてくれることもあった。持久走のタイムは伸びたし、身長も伸びた。数年単位でならちゃんと成長してる。だいたい幼少期から「マイペースで感受性豊か」とかって評されてきた人間が、集団の先頭付近で走り続けるのは至難の業だ。そんなことして途中でバテるより、ちゃんと自分のペースを守って最後に帳尻があってたらいい。開き直った方が、細かいことですぐ凹むネガティブ根性とバランスが取れる。マイペースも、豊かと評された感受性も、今のとこ集団で足並み揃える時に足を引っ張ってばかりだ。でももう知らない。私に適合しない社会が悪い。

 

 マイペースに無駄なことをぐるぐる考えながら2歩進んで3歩下がるような進み方をするのが私だ。些細なことですぐ凹むのが私だ。他のすごい化け物みたいにロケットスピードで日進月歩なんてできないのが私だ。欠点を埋めるのも、未来を見通すのも時間がかかる。それでも自分の存在を否定せず、ちゃんと歩いていきたい。恥だろうとばかだろうと、そういう面を受け入れないと改善すら出来なくなる。どうせ少なくともあと数十年はこの肉体から抜け出せない。ならただ鬱々してるんじゃなくて、自分のことをちゃんと知りながら、自分の道を踏みしめたい。

 

 「ゆっくりでも止まらなければけっこう進む」ので。