タピオカに3時間並ぶ人の自分語りブログ

タピオカに3時間並ぶようなJR(女子浪人生)の生態

さびしさの音をかき消すプリントはもうない

" さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。"
抜粋:綿矢りさ 蹴りたい背中

 

 第130回芥川賞を受賞したミリオンセラー作品。知ってる人も多いと思う。弱冠19歳の作品として史上最年少受賞とたいへん騒がれた。とはいえ2003年のことであり、私は当時3歳。そんなニュースなどまっっっっったく記憶にない。

 

 私がこの作品を初めて読んだのは中学生の頃だった。確か進〇ゼミの文庫本プレゼントキャンペーンみたいな何かで貰ったんだったと思う。ぶっちゃけ初読の感想は「なのこの短い上に山も谷もない物語!?他の本選んどきゃよかった……」だった。主人公も私もぼっちだし感情移入出来るかと思ったら、全くそんなことなかった。しかも、冒頭主人公が破いてるプリントは授業での顕微鏡観察レポート用紙。当時の私はものすごく理科の授業が好きだったのだ。破くなんてありえない。高校生だろうと中学生だろうと理科の授業楽しいに決まってる。孤独なんて軽く吹き飛ばされるくらいには最高の時間だ。葉緑体?オオカナダモ?いくつになってもはしゃげるに決まってるだろ💢💢💢💢
 そんなわけで序盤で躓いた私は、一応最後まで流し読みしたあと本棚の奥底に追いやってしまった。そっからだいたい4年間くらい、存在ごと内容も忘れ去ってしまう。恋も友情もまともに理解せずに厨二病こじらせてた中学二年生なので、もうこれはしょうがない気がする。背中を蹴りたくなる心情なんてわかるわけがない。ヒューマンドラマよりも推理小説やファンタジーものが面白くて面白くてしょうがないお年頃だ。許されたい。もうしょうがないことにしたい。

 


 「蹴りたい背中」を本棚から発掘し、その素晴らしさに悶えるのはざっと4年後のことだった。そろそろ受験がはじまりあっという間に高校生活が終わってしまうのに、何一つ成し遂げたことなどない。このままではAOの自己推薦書が1行も書けない。なんでもいいから手取り早く何かを成し遂げたい。焦った私はそうだ小説でも書いて賞を取ろうと思いつく。舐め腐りとち狂った発想だ。言い訳をすると、仲の良かった友達に小説家志望がいたこと、中学の授業で書いた創作がそこまで悪い評価じゃなかったことなどから「やれば出来るんじゃね???」と調子に乗っていた。うん、文章にしてみると改めてその舐め腐り具合がわかる。言い訳など見苦しい。情状酌量の余地などないな。有罪。

 

 

 作品の内容については割愛する。こんな文才のない人間の要約など、あの素晴らしい物語を知る上で邪魔にしかならない。とりあえず、主人公がなんだかんだあって最終的に背中を蹴りたくなる話、とだけ言っておこう。なんで、とか誰を、とか、詳しい5W1Hはその目で確認してきてくれ。本屋でタピオカミルクティーLサイズくらいの値段で売っている。もしくは最寄りの図書館へGO。

 

 

 私の感想でしかないのだが、この物語は主人公が高校一年生だったからこそ成り立つものだと思う。世にいうJKブランドではないが、高校生特有の儚さというか、力強さというか、大人と子供が共存した不安定さがこの作品をより魅力的なものにしている。あの反抗期やら思春期やら青春やらと名前がついた、ぐちゃぐちゃしたしちめんどくさい感情を、煮詰めて再結晶化して、純度の高いきらめきを手に入れている。文量が短いからと言って内容が薄いわけでは決してない。本人達にとっては別に綺麗でもなんでもない日常であるが、切り取って本にするに足りる魅力はそこにあった。19歳という若さだったからこそ表現出来た、15歳の等身大の物語に感じた。あまりにも等身大過ぎて、中学生にはその良さが理解できないほどに。

 

 「19歳だからこそ表現出来た」と言ったが、この部分に関しては確証はない。なぜなら、お恥ずかしながら私は綿矢りさの作品をこの一冊以外読んでないからである。

 というわけで17歳の私は、小説で賞を取るなど到底叶わないとのだと思い知った。自分にはあと2年あってもこんなの書けない。さらに、19歳だからだと一応仮定はするが、19歳じゃなくてもこんなすごいのを書ける可能性だってあるのだ。世の中には綿矢りさレベルの作家はすごいいっぱいいる。もうめっちゃいる。どう頑張っても無理ゲー。諦めよう。それよりもこういう本めっちゃ読みたい。切実に。

 

 私もあと3ヶ月くらいで19歳になってしまう。時間はいつでも一方通行で、全然まったく待ってくれなどしない。私はもう高校生じゃないし、さびしさが鳴ってるように感じても、もうかき消すためのプリントなど手元にない。背中を蹴りたく思っても、あんな物語が生まれることはない。JKブランドは返納済みで、宙ぶらりんの立場のまんま、春が来るまで頑張らないといけない。まだ何もできてないのに、何者にもなれないままで、どんどんどんどん進んでく。今感じ今思う物事はそのうち忘れ去ってしまう。だとしたら、今しか書けない文章ってなんだろう。今しか生み出せない作品ってなんだろう。もし私に生み出せる力があれば、どんなきらめきの結晶ができるのだろう。幸い私は物語を考えるのが好きだ。永遠にひとつの主題をこねくりまわせるタイプの設定厨だ。そういう人間の、私の書いた物語ってどんなのか、一目見てみたい。知りたい。眺めたい。周りの評価なんて関係なしに、そういう本が私は読みたい。

 

それはもう、切実に。